【デモ】2019年10月、チリで何が起きた?【ラテンアメリカ歴史】
みなさんこんにちは、みなみです。
当時日本でも多くのニュースサイトやテレビなどで情報が出ていたチリのデモ、みなさんはどこまでご存知ですか。
日本の多くの報道機関ではチリのストライキは学生主導の全国規模デモというようなニュアンスで語られていましたが、根本は少しチリ独裁政権の背景から現在の政治・経済状況を知る必要があります。
本記事では上記について簡単に解説していきます。
目次
デモの理由は交通機関の値段が上がったらからじゃない
まず、学生の運動がきっかけで今回のデモが全国で広がったことは確かです。
しかし今回のデモは上にも述べた通り、単なる交通機関の値上げに対する不満だけではありません。これは国民の長年にわたる不満が大爆発した結果なのです。
メトロの賃金値上がりは単なるきっかけに過ぎませんでした。
実際のところ、チリの所得は平均しても日本の新卒より低い状況です。それにもかかわらず、チリは日本に劣らない長時間労働でも有名です。
これに加え、教育や医療、年金制度の問題、格差の拡大などが国民の不満の背景にあります。
最低賃金の値上げや社会保障の改善を求める声が高まり、政府への不満が爆発したのです。
2チリは現在多くの犠牲者が
デモ活動の一環として、cacerolazo(カセロラソ)という鍋を叩いて抗議する行動が広まりました。
この平和的な抗議行動は、特にSNSで広がりを見せ、InstagramやTwitterなどで多くの投稿が見られます。
しかし、デモがエスカレートし、暴力的な衝突が発生し、多くの犠牲者が出ました。
警察とデモ参加者の間で激しい衝突が繰り返され、多くの負傷者や逮捕者が出たのです。
ニュースの理解にはチリの独裁政権と現政権のつながりについて考える必要が
これは別記事で詳しく解説しようと思いますが、チリは1973年から1990年までアウグスト・ピノチェト将軍による軍事独裁政権が続きました。
この独裁政権時代に導入された新自由主義的な経済政策が現在の格差や不平等の根本原因となっています。
ピノチェト政権が終わった後も、経済政策の多くは変更されず、その影響が現在まで続いているのです。
大統領はじめチリ政府の意向は
チリ政府は国際的な圧力を受けつつも、辞任しない方向でやっていくと宣言しました。
特に2019年はAPECとCOP25という二つの大きな国際イベントのホスト国であったため、政府としてはデモを早期に収束させたいという思惑があったのかもしれません。(ないかもしれませんし、実際にはわかりかねますが)
しかし、国民の強い反発を受け、ピニェラ大統領は一部の改革を発表し、譲歩を見せました。
チリ市民の行動に反対の人も
もちろん、市民側だけを擁護するコメントばかりではありません。
インターネット上では様々な意見があります。
みなさん、チリ人の市民側は「やりすぎ」だとおもいますか。
ここで、イギリスの女性が世界で初めて女性参政権を獲得した過程を映画にした作品で、最後に私が好きなフレーズを紹介させていただきます。
「目を向けさせなくてはいけない」
ーSuffragette (未来を花束にして)
この世間から見た「やりすぎ」な言動も、チリの現実に世界から注目を集めるための手段だと思えば、その役割は十分果たしているのではないでしょうか。
この世間から見た「やりすぎ」な言動も、チリの現実に世界から注目を集めるための手段だと思えば、その役割は十分果たしているのではないでしょうか。
チリの動きが世界を揺るがす
このチリの動きは連日報道されている通り、多くの国々や人々に影響をもたらしています。
例えば、ニューヨークではチリに倣った市民のストライキが行われ、その他の国々でも連帯を示すデモが発生しました。
また、国際社会はチリ政府に対して人権問題に関する強い懸念を示しており、圧力をかけていました。
最後に
いかがでしたでしょうか。
チリの現状とその背景について少しでも理解が深まれば幸いです。最後に私の好きなチリのアーティスト、アレックス・アンワンター(Alex Anwandter)の「Paco Vampiro」をご紹介して終わりたいと思います。
Pacoはチリのスペイン語で警察官を意味し、この曲は警察の暴力に対する批判を込めたものです。
本記事を機に、ぜひチリの現状に目を向け、その歴史と現実を考えるきっかけになれば幸いです。
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